1944年2月14日、ロンドンのアイリントンに生まれ。60年代からコピーライターとして活躍していたが、1971年、同僚のデビッド・パットナムが製作した『小さな恋のメロディ』の原作・脚本を担当して映画界入りを果たす。その後、製作者のアラン・マーシャルと共同でアラン・パーカー・フィルム・カンパニーを設立、劇映画やCMフィルム、BBCのテレビ映画などを数多く手掛け、75年に演出したテレビ映画“The Evacuees”では英国アカデミー賞を受賞した。
監督デビューは76年で、脚本も手がけた『ダウンタウン物語』。この作品は1920年代のギャング映画のミュージカル・パロディでキャストはすべて子供だけというユニークな演出が注目を浴び、カンヌ国際映画祭のプレミア作品として上映。英国アカデミー賞でも8部門にノミネートされ、5部門で受賞、監督の名を一躍世界に広めた。
続く78年の『ミッドナイト・エクスプレス』では実話を取り上げ、異国トルコの独房で絶望的な日々を送るアメリカ人青年が脱獄するまでを描き、大きな話題となった。3作目となる80年の『フェーム』ではNYのダンス・音楽・演劇の学校でアメリカン・ドリームを追う若者たちの青春群像を描き、世界中で大ヒット。『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』は監督5作目にあたる。
パーカーはその後もヴェトナム帰還兵の青春と友情を描いた『バーディ』(84年)、公民権運動家が殺害された実在の事件にもとづく『ミシシッピー・バーニング』(88年)、など社会派作品を着実に描く一方で、惨殺事件の真相を追うサスペンス『エンゼル・ハート』(87年)やアイルランドのダブリンを舞台にソウルバンドの青春を描く音楽映画『コミットメンツ』(91)、コーンフレークを発明した博士と健康に異常な執念を燃やす人々を描いたブラック・コメディの『ケロッグ博士』(94)、アイルランド移民の一家の運命を描く文芸作品『アンジェラの灰』(99)など様々なジャンルの佳作で話題を呼んでいる。2003年のケヴィン・スペイシーとケイト・ウィンスレット主演による冤罪や死刑制度をテーマにしたサスペンス『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』以降、新作の情報はないが、その職人技のような完成度の高い映画を待ち望む声は多い。
 
1936年ロンドン生まれ。61年、風刺マガジンの『プライベート・アイ』が創刊号からスカーフの風刺漫画を掲載、脚光を浴びる。72年BBCテレビで20分のアニメーション映画『long drawn-outtrip(長引いた旅)』を製作。これが批評家の絶賛を浴びたことからピンク・フロイド、特にロジャー・ウォーターズに注目され、75年のライブ『炎~あなたがここにいてほしい』のアニメーションを担当。そして80年、ロック史上伝説のコンサートとなる『ザ・ウォール』のステージ・アニメーションで頂点を極めたあと、本作のアニメーションを手がける。以降,ヨーロッパの様々なギャラリーで個展の開催、雑誌や新聞への風刺漫画やイラストレーションなどの発表を続けながら97年にはディズニーのアニメーション映画『ヘラクレス』のプロダクション・デザインを手がけた。2006年にはイギリスのプレス・アワードを受賞。2010年には自身の集大成とも言える『the makling of pink floyd thewall』を出版した。
1938年ロンドン生まれ。編集者として映画業界に入り、テレビのプロデユーサーを経て、アラン・パーカーの異色ミュージカル『ダウンタウン物語』(76)で長編映画のプロデユーサーとして本格的にデビュー、注目を集める。その後、『ミッドナイト・エクスプレス』(78)『フェーム』(80)『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(82)、『シュート・ザ・ムーン』(82)などアラン・パーカーとコンビを組む。84年には『アナザー・カントリー』を製作。以降はハリウッドで本格的に活動、『バーディ』(84)『エンゼル・ハート』『氷の微笑』(92)『スターシップ・トルーパーズ』(97)などの話題作をプロデユースしている。
 
 
1951年アイルランドのダブリン生まれ。70年代後半から80年代にかけて活動したアイルランドのロック・バンド“ブームタウン・ラッツ”のリード・ヴォーカルを務めた。激しいパフォーマンスと同時に社会派の歌詞が注目を集め、「アイ・ドント・ライク・マンデイズ」など数々のヒットを放った。
そして84年、エチオピアの飢餓を取り上げたBBCのドキュメンタリー番組に触発され、仲間のミュージシャンに声をかけて飢餓救済のためのバンド・エイドを結成。彼らが歌った「Do they know it's Christmas?」は世界の人々の心をとらえた。アメリカではUSA forアフリカによる「We are the world」が誕生、そして欧米の名だたるミュージシャンたちが集結し、アフリカの飢餓に苦しむ人たちを救おうとチャリティ・コンサート「ライブ・エイド」も行なわれた。
ゲルドフはその後、ソロ活動を続ける一方、現在に至るまで積極的にチャリティー活動を続け、特に2000年以降はU2のボノと一緒にアフリカ政府の負債問題に焦点を当てたキャンペーンに多くの時間を捧げ、2005年にはロンドン、パリ、ローマ、ベルリン、フィラデルフィア、そしてカナダのオンタリオ州バリーの6か所で同時開催された「LIVE8コンサート」も開催した。